移住歴約3年
埼玉県より移住
大束 晋 さん
かろやかな笛の音が、木々を揺らす風にのって、のびやかに奏でられていく。自宅の裏山の広場で、見事な演奏を披露してくれたのは、日本での「パンフルート」の第一人者である大束晋さん。「パンフルート」は、ルーマニアの代表的な民族楽器です。周りの環境に左右されずに演奏活動をしたいという想いで、生まれ育った埼玉を離れて葛尾村に移住した大束さん。葛尾村での自然と共にある暮らしが、音楽にも大きな影響を与えているそうです。パンフルート奏者として、移住者としての大束さんの日常をのぞいてみましょう。
親が会津地方に住んでいましてね。いつかは、福島県内のどこかで山暮らしをしたいなって思っていたんですよ。いろんな場所を探したけど、なかなかいい条件の物件がなくて。やっと見つけたのが、この家でした。
初めて来たのは、ちょうど3年前の10月だったかな。埼玉から来たけれど、ものすごく遠くて(笑)。郡山市からも離れていて、「市街地から遠すぎるな…」っていうのが最初の印象でしたね。でも家を見せてもらって、「やっぱり、ここがいい」って、即決でした。家の雰囲気もいいし、まわりの土地も広々としていてね。家の裏山はちょっと登り坂になっているんですけど、落ち葉を踏む音のほかには何の音もなく、木の葉が気持ちよさそうに揺れていて。埼玉では団地で暮らしていたので、この環境は自分にとって新鮮でした。
引っ越してきて、せっかく山暮らしをしているんだからヤギを飼いたいなと思って、知り合いの農家から譲ってもらったんですよ。名前は、ピノ。でもまさか、こんなに活発とはね(笑)。畑で固定種の野菜を育てていたけれど、芽が出たとたんに食べられたなあ。最初はもっと小さくてかわいかったんですけどね。まあ、仕方ないか。もし、うちに遊びに来てくださることがあれば、食べものを取られないように気をつけてくださいね。ピノ、けっこう力強いですから(笑)。あと、猫のユカ。この子は、この家の床にいたんですよね。だから、ユカって名前にしたんだけれど。
一応、電気は通っているけれど、お風呂も料理も、ほとんど薪でまかなっていますね。薪は、このあたりの山でいくらでも手に入るから。見よう見まねでチェーンソーの使い方を覚えて、自分で伐採しています。梅やグミ、栗の木もあって、食べ放題ですよ(笑)。午前中はパンフルートの練習をして、午後は薪を割ったり、ごはんをつくったり、お風呂を沸かしたり。そんなことをしていたら、1日があっという間に過ぎていきます。
かつてこの家に住んでいたご夫婦が、裏山を開墾されたみたいでね。ちょっとした広場になってるんですよ。今年の6月に、ここでパンフルートの演奏会をひらきました。ここで吹いていると、澄み切った空や、心地いい風、木々の風景が、僕の演奏に生かされているなって思います。もともとは、周りの環境に左右されずに、のびのびとパンフルートを吹きたくて移住したけれど、今はここの暮らしや環境が軸としてあって、演奏活動がひとつの部門になっているという感じかな。「この土地で暮らしていくこと」が、今の自分にとっての大きなテーマです。
引っ越して4度目の冬を迎えますが、寒さだけは、まだ慣れないですね(笑)。だけど、自分の暮らしを自分でつくっているこの感覚は、何にも変えがたい喜び。精神的な暮らしの安心感があるというかね。決して、便利な暮らしではありませんよ。買い物するには、市街地まで出ないといけないし。自家用車を持っていますが、私は演奏のトレーニングとして、郡山市まで自転車で通うこともあります。往復で3時間半くらいかな。
今は、パンフルート奏者として全国各地で演奏活動をしているのと、楽器づくりやレッスンも行っています。月2回、関東でレッスンをひらいていて、その時は車で葛尾村から通っています。生徒さんの中には、わざわざ葛尾村まで来てくれる人もいるんですよ。皆さん、このゆたかな自然環境を気に入ってくれていますね。この先も、この場所でレッスンや演奏会をひらけるように、引き続き手入れをしながら、ここの暮らしを楽しんでいきたいなと思います。
[2023年12月取材]